給料が上がる、いい仕事があった、転職の切っ掛けはそれぞれ。

転職は、自分で決める一大決心!その時、人は転職を考える。

疲弊している先輩社員や上司の姿を見て

転職前は大学卒業後にプラントエンジニアリング会社の営業職として活動していました。転職を考えるきっかけになったのは一つ目に恒常的にある残業と残業しているのに残業手当がつかない労働環境に疑問を持ったことです。2つ目は疲弊している先輩社員や上司の姿を見て今後もこの会社で働いていくことに疑問を覚えたことも大きなきっかけです。

一度しかない人生なので後悔しないようにしたいと思いましたし、転職するにしても年齢を重ねてしまうとなかなか動きにくくなると思い転職活動を始めることにしました。東洋エンジニアリングやティーネットジャパンなども検討しましたが、結局知り合いの紹介で前職での経験を活かせる会社へ決まりました。

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面接の成功談と失敗談についてですが、まず失敗談については2次面接まである会社の転職試験で筆記試験をクリアした後に面接に呼ばれ、女性が現れたのでただの面接会場への案内役だと思って安心していました。しかしその女性は案内役などではなく実務を行っている面接官だったのですが、油断してしまいかなりフランクに接してしまったのが非常に後悔しています。

逆に成功談としては面接試験の際に趣味で行っていたゴルフについて話したところゴルフ好きの役員の方がいてかなり盛り上がったことです。面接も無事通過したので、面接や筆記試験も大切ですが自分の趣味など色々なことを経験することが会社で働く際には生きてくるのではないかと思いました。

転職体験で非常に面白かったことは当初は業種をしぼって狙いをつけて活動していたのですが、リクルートのエージェントから案内された求人内容で学童保育の教員という珍しい案件があったのでまったく経験がなかったのですが、興味があって1社だけ応募したことです。

全くの未経験だったのですがなぜか面接も突破して実務のような形で学童保育のサポート兼試験のような形で子供たちと接することになったのですが、子供と接する仕事は非常にやりがいがあって楽しかったことに驚きました。転職活動はそうそうないことだと思いますのでこの転職活動の機会に色々な会社であったり、仕事に触れたことは本当に面白かったですし、良い経験になりました。

この仕事は結局、条件等の折り合いがつかなかったこともあり、最終面接で落ちてしまったのですがこの経験は自分の人生で本当にやりたい仕事はなんなのか深く考えるきっかけにもなり今でもたまに思い返します。

転職後に一番変わったと言えるのは労働環境が劇的に改善されました。以前は残業代も満額出ずに繁忙期は休日出勤することになっても皆がやっているので仕方ないと思っていたのですが、現在の職場は申請すれば残業代は支給されますし、休日での出勤はまずありません。休日にゆっくり買い物に行ったり、好きな本を読める時間ができたことで、ストレスも軽減されました。

人間関係についても上司や同僚も前の職場ではギスギスしていたのですが、現在の職場では温和な方が多く良好です。自分自身で変わったと思うのは物事の考え方です。今勤めている会社に対して不平不満があるのであれば愚痴を言うのではなく、実際に改善できないか試してみて、それでも無理ならば転職活動をするなど実際に行動に起こさなければ何も変わることがない、ということが自分自身よく理解することができました。

転職活動という体験を通して色々な仕事があることもわかりましたし、視野が広がったと思います。親も転職をあまり良い印象を持っていなかったようですが、自分が元気になっていく様子に安心してくれたようです。一つの会社にずっと勤めるという考え方も今では頭が固くなっていたと思うので、今後も柔軟に物事を考えて今後の人生を豊かにしたいと思います。

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夢を叶えたい

私が転職をしたのは、25歳の頃でした。当時、私は都内にあります、某鉄道会社系列の商業施設の営業部に正社員として所属し、商業施設の受付業務、代表電話の対応、営業事務、放送業務を担当しておりました。転職先は、地方の広告代理店で、この会社の営業部の正社員としての転職が決まりました。こちらでは、広告代理業の営業と喋り手としての兼務で、冠婚葬祭の司会やイベントMC、ラジオのパーソナリティ、テレビ番組のレポーターなどの仕事を担当する仕事でした。

転職のきっかけは、自身の夢を叶える為です。私は、アナウンサーやナレーターのお仕事をメインとした仕事を展開していきたいと密かに思っていたので、そのタイミングを探していました。色々と調べる中で、ある会社とのご縁があり、入社することになりました。 "面接のときは、とにかく自然体で"いようと心がけました。

自分が何をやりたいのか、そしてその為にはどのような事をしていきたいのかを明確に伝えてみました。また、その企業の事を事前に調べていたので、質問を沢山させてもらい、その時の印象が良かったと後から聞きました。

失敗談としては、着用していた服装です。アナウンサーという職種のイメージの中に、「カラースーツ」だという事が私の中ではありまして、自身を持って着用しました。その時は、面接でしたので、特にご指摘もありませんでしたが、後々のお話で知った事実ですが、センスを疑われたようです。面接は問題ないし、採用は決まっていたけど、あのセンスは、直さなければいけないとの話が上がっていたそうです。その話を聞き、赤面しました。

私の場合、都内から地方への転職でしたので、驚く事は沢山ありました。まず、私が転職した地域では、100%に近い確率で、車通勤だったことです。電車で通える場所ではないことに、会社見学の際に知りました。また、人の価値観が違う様に、会社によってカラーが全く違うという点です。

大手鉄道会社系の商業施設でしたので、社長と会話が出来るチャンスは殆どなく、過ごしていましたが、転職先の社長は、会社見学の際に、自ら運転し、迎えに来てくれました。また、社員の方が、社長にたいして敬語を使っていなかった点にも驚きを隠せませんでした。あえてそうしているとのことでした。

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また、面接の際に聞いたことですが、入社後は、研修期間は殆どなく、何事も実践だとお話下さったことも、驚いたことの一つです。「司会も、営業も直ぐに実践で学んでもらいます」この方針に、驚きと魅力を感じましたし、他の会社では味わえない面白さがここにはあることを確信し、入社を決意しました。

突然、都内から地方へ住み、友人や知人も居ない環境となったので、短期間での変化を感じました。勿論最初は、ホームシックにもなりましたし、辞めたいと思うこともありました。ただ、パソコンに詳しくない私が、広告代理店の営業として、先方へアイデアの提案をパソコンを通してしたり、企画書を提案したりもしました。

また、いままでの残業のない環境から、夜中まで仕事をする環境になったので、忍耐力の様な精神面を磨かれた気がします。そしてなにより、人前で話すことを仕事とする喋り手業務は、刺激的でした。打ち合わせから始まり、シナリオ作成、本番ではアドリブ力も磨かれました。

全体を通して変わったことは、物事への価値観です。やりたい!と思うことが、全てを動かしていくこと知りました。誰でも、最初はありますし、何事も未経験からのスタートです。
歳を重ねていくと、忘れそうにもなりますが、あの時の大きな転職は、今の人生でも活かせています。転職をすることが良い事とは申しませんが、少なくとも、私は転職を通して多くを学び、得ました。

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前職の経験を生かしたい

前職はパソコンメーカーの品質管理部門におり、市販パソコンの製造や検査、返品製品の不具合内容の切り分け等の仕事を行っていました。その中で電子機器全般の知識を活かし、より直接的に製品の開発に携わってみたいと思う気持ちが少しづつ強くなっていました。ちょうど技術職の社員募集を掛けていたとある電子機器メーカーの求人が出ており、前職の契約期間が満了直前だったという事もあって、思い切って応募してみる事にしました。

事業所への通勤といった細かな条件に関しても事前のマッチングは良く、興味を持ってから応募に至るまでのレスポンスも大変早いものでした。同時期での大量募集案件という事もあり、結果的に上手く採用を勝ち取る事が出来ました。

応募方法は事前郵送による書類審査の後、二次に渡る面接の後採用の可否が決まるというものでした。大量募集という事で採用のチャンスに期待は持っていたものの、応募するライバルの多さを考えればそれ程話は上手くも無いな…とも思っていました。とは言え、書類郵送後2週間程で書類審査合格と一時面接の日程について連絡があり、何とか面接へと進む事が出来ました。

普段から緊張しがちな性格だった事もあり、面接は待合室からガチガチになってしまい、いざ面接室に呼ばれても、一時は自分で何を言っているのか分からない位になってしまいました。ただ担当官が親身に言葉を掛け緊張感を解いてくれた為、数分で何とか落ち着き、自分の経歴や意気込みを上手く伝える事が出来ました。

二次面接は本格的な役員面接でしたが、そのメーカーの興味ある製品についての自分の思い入れや熱意、将来購入への意欲を伝えたところ、たいそう気に入ってくれた様子でした。思えばそれが採用へのカギだったかも知れません。

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一次面接・二次面接共にスペースを幅広く取っての単独面接という形でした。面接会場は広大な事業所の一角だった上に、同時に面接を受ける人の数も大変多く、てっきり一次面接から集団面接の形を取ると思っていただけに、かなり意外でした。他人の視線を気にしがちな自分にとって、周囲の人間が全くいない単独面接という形は、リラックスして自分の持ち味を発揮する上で、大変恵まれた環境だったに違いありません。

また一次・二次共に面接官が大変気さくで明るく親身な方で、こちらが緊張で言葉が詰まりそうになる度にジョークで笑わせてくれたり、リラックスする様アドバイスを送ってくれたりして、非常に助かりました。今回の面接に限らず、多くの面接会場を見て来ましたが、意外と目に付いたのが私服で参加する応募者でした。

面接はスーツが当たり前、というイメージで凝り固まっていた自分にとっては大変新鮮に見え、相手への失礼以前に、あれ位緊張せず、普段着スタイルで堂々と面接を受けられたらいいな…と羨ましく思ったものでした。

前職と比べ、求められる知識や技術のレベルがぐんと上がった上、他部門スタッフとのスケジュール進捗調整のすり合わせ等、プロジェクト全体を俯瞰するマネジメント能力も求められる等、仕事の緊張度が一気に上がりました。ただその分、自分の仕事が新製品の開発・リリースに直結するという大きなやりがいや充実感を感じる様にもなりました。自分が直接開発した製品が店頭や市場に出るというのは少々照れ臭かったものですが、それは立派な事実。やがて自分に自信を付けられる様になりました。

また緊張しがちの性格で、あまり人前に出る事を良しとしなかったのですが、仕事柄進捗会議等で大勢のスタッフを前に発表する機会が増えた事もあり、強引にもその様な場に慣らされる結果となりました。最初は大変でしたが、やがて実績が自信へと変わってゆき、転職1年後には何事にも緊張せず、堂々と自分の意見を出せる様になりました。前職に留まっていれば到底味わえない満足感だったと思います。

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パワハラで心身ともにボロボロ

公的機関の事務職(契約・経理・給与・人事)として10年以上勤務していましたが、過労やパワーハラスメントなどで心身を故障し、休職を繰り返していました。休職が重なるごとに周囲の当たりがきつくなり、心身ともにボロボロになり、退職せざるを得なくなりました。夫は専業主夫だったので、何とか次を見つけなければと必死でしたが、体調が安定せず、転職活動は失敗続きでした。

焦るのをやめ、生活リズムを整えたり、食生活を見直したり、適度な運動を取り入れたり、とにかく体調管理の徹底をはかりました。かなり時間はかかりましたが、心身ともにすっかり良くなったと感じたタイミングで、個別指導の塾講師の求人に応募し、採用されました。

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あまり構えることなく面接に臨みました。履歴書不要とのことでしたが、一応用意しておいたところ、面接時に履歴書に書くような内容の記載を求められたので、用意しておいてよかったです。面接官が記入しているチェックシートに「清潔感」「態度」「笑顔」などと書かれているのが見えたので、そのあたりに気を付けながらハキハキと笑顔で受け答えをしました。

面接では対面での面接に加え、スマートフォンを使った人物チェックや学力を見るためのテストがあったのですが、事前に何の勉強もせず臨んだので、時間が足りなくなり、最後の方は適当に回答欄に記載してしまいました。ただ、終始構えずにリラックスして臨んだのが功を奏したのか、面接後すぐに採用の連絡がきました。

一次面接通過後、二次面接があったのですが、所要時間4時間と長いものでした。一次面接に受かった人たちを集めて、会社側が延々とマニュアルや注意事項などを叩き込むような感じで、話す側も疲れたのか「あとどのくらい話せばいいんでしょうかね」と何度か確認していたので、双方耐久レースみたいなところがあるのだなと可笑しくなりました。

「子どもたちの未来のために」を繰り返すわりに「あなたたちの給与の源は子どもの保護者だから、常に保護者の目を感じながら仕事をするように」など、建前と本音が入り混じった説明も面白かったです。「二次面接に通過したら連絡します」と言いながら、その場で配属校が決まっていたりするのも妙な感じがしました。

事前に「交通費は一律千円支給します」と説明を受けていましたが、面接終了後に一人一人現金入りの封筒を手渡しされたのには驚きました。私だけかもしれませんが、千円札が新券だったので「用意する方も大変だっただろうな」と思いました。

 公的機関で働いたことしかなかったので、民間の競争社会というものに初めて触れて、ノルマだの実績だのを重視する組織というのが存在するのだということを目の当たりにし、「民間って厳しいんだな」ということを思い知りました。また「中学受験、高校受験合格も重要だが、保護者の目指す本当のゴールは偏差値の高い有名大学への進学」と言われ、そこそこの学歴は持っているものの「どこの大学を出たかなんて意味ないな」と思っていた私は、同い年くらいの保護者がいまだに学歴にこだわっているという事実に驚きました。

研修では「マニュアル通りにやることがいちばん」と言われていましたが、実際の現場はマニュアル通りとはいかなかったことに戸惑いました。時給は高い方でしたが、時間外労働(サービス残業)がまかり通っていたところにはブラックさを感じました。自分に子どもがいないことや、子ども相手の仕事が初めてだったこともあり、マンツーマンで何をどう教えればいいのか毎回迷いましたが、接していくうちに生徒の一生懸命さ、さらにはわがままなところまでも可愛く思えるようになった自分にびっくりしたりもしました。

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なんといってもお給料

看護師として7年程度総合病院で働いていました。大きな病院で入院病床もあったため、三交代制の勤務で夜勤も月に10回程度していました。夜勤手当などの関係でお給料は割とよく月に25万円程度は手取りでもらえていました。しかし、それだけもらえていても仕事の内容と見合っているとは言えないと私はずっと思っていました。

始業前は担当患者さんや病棟の状況を情報収取するために、実際の始業時間よりも1時間以上前から仕事をしていました。しかし、始業前に働いた分のお給料は1円も発生しません。また、終業後の残業についてはお給料は発生するのですが、自己申告制なので時間が多くなってくると何かと上司から嫌味を言われてしまいます。

そんな訳でどうしても控えめに申請せざるを得ない状況でした。苦しい状況から抜け出したくて、私は看護師でありながらも楽に働ける「介護施設」へ転職することにしました。転職するにあたっての面接はとてもラフな感じでした。堅苦しい感じの面接という雰囲気は一切ありませんでした。感覚的には面接というよりは、スタッフの方とちょっと世間話をしたという感じでした。

そのような雰囲気だったので、そこまで緊張することもなく自然な感じで普段の自分をアピールできたので良かったです結果、無事に採用というお返事を後日いただくことができました。私の場合は、担当してくれた面接官の方がこちら側のことも配慮してくださり、そのような相手が話しやすい雰囲気をつくってくれたのだと思います。失敗したことについては服装についてです。冬場だったので厚着して面接に向かったのですが、面接のための部屋が狭い上に室温が高めであったため、面接中はかなり暑かったです。

面接時のことになりますが、とても面接中の雰囲気がラフな感じだったので、身構えて緊張していた私としてはちょっと拍子抜けしてしまいました。面接の時は個室で筆記試験(作文)を受けた後で、面接官の方による面談をしてもらうという流れでした。筆記試験を終えた後で、個室で待機していました。しばらくしてドアの外からノックが聞こえ、面接官の方が個室に入ってきました。

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入ってくるなり「この部屋寒くないですか?僕ちょっと寒がりなんですよね・・・。」と言ってエアコンの温度設定をさわり、その後も何ともフランクな感じで面接が始まりました。こちらとしてはとても話やすいのでありがたかったのですが、身構えてしまっていた分驚きもありました。

面接中の会話の流れで、仕事についてもグチのような話にもなりました。こんな面接もありなのだなとちょっと驚きました。でも今考えると、「相手の本質を見抜くためにはそのようなラフな対応の方が良いんだろうな」と私自身も感じています。

転職後は夜勤をしなくて良くなったので、勤務形態の面で私の生活が大きく変化しました。純粋に、「朝起きて夜は寝る」という普通の人間らしい生活をずっとしたいと思っていたのですが、転職することでやっとそれを叶えることができました。また、以前は総合病院で看護師として働いており、周りは女性のスタッフばかりでした。

ですが、介護施設に転職することで、職場に男女が同じくらいの比率でいるという状況になりました。女性ばかりの職場だと何となくギスギスした雰囲気になりがちなところも多く、私はそんな職場の環境が苦手でした。ですが、転職した介護施設では、冗談を言ったり適度な感じのおふざけをしたりしなら仕事をする男性スタッフもいて、上手くスタッフ全体のムードがまとまっているように感じました。

なので、以前までよりもずっと過ごしやすい職場環境になりました。しかし、スタッフに喫煙者がとても多くその点ではちょっと苦労しました。私はタバコが苦手なので、休憩時間に側でタバコを吸われるのを苦痛に感じることも多かったです。

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